2023年2月 8日 (水)

水田洋氏

経済思想史の水田洋氏が亡くなったと報じられていた。103歳で老衰とのこと。

40年以上前、おそらく卒業シーズンだったと思うが、大学の学生新聞に水田氏が寄稿した文章が印象に残っている。印象に残っているといっても文章そのものが手元に残っているわけではないので、記憶の断片を辿ってみると。


水田氏が大学を卒業して軍に招集されたさい、師から「生きて帰ってこい」との叫びが発せられたこと。
愛知県の高校の図書館で水田氏の著作が却下されたこと。その理由は書名に含まれる「自由」がよくない。
詳しく紹介している余裕が無い、として、林達夫の「歴史の暮れ方」が書名だけあげられていた。
最後は「危機は深化している。おめでとうを言える状況ではない」で結ばれていた。


まったく不正確な記憶ですが、水田氏の文章は理系の学生にも印象を残した、ということで追悼になるかどうか。

2023年1月 7日 (土)

「あの戦争と日本人」(半藤一利、2013年、文春文庫)

「あの戦争と日本人」(半藤一利、2013年、文春文庫)

(1)「あの戦争」とは主として「第二次世界大戦の日本が戦った部分」のことだが、「太平洋戦争」とか「十五年戦争」などの言葉を使わなかった理由として著者は、これらの言葉にまとわりつくイデオロギーが窮屈であると。日本人なら「あの戦争」でわかるでしょう、ということか。(戦後大分たってから生まれた私はわかるが、もっと若い人はどうだろうか)

(2) もう一つ「あの戦争」で著者が挙げているのは「第二次世界大戦」「太平洋戦争」「十五年戦争」だけでなく、「日露戦争」である。
この日露戦争が近代日本史の転換点になったと。「第三章 日露戦争後と日本人」で著者は「日露戦争の勝利を境にして、日本はそれまでと違う国家になったのではないか」(73ページ)と書いている。客観的に見れば日本にとっても十分な利益を獲得できたポーツマス講和条約に対し日本人が怒り狂った騒動を記述したあと、「勝利に酔い、夜郎自大な国民になっていってしまったのです。」(83ページ)


(3)「あの戦争」の最大の相手国はアメリカだったわけですが、そもそも何でアメリカと戦争したのだろうか、自分自身よくわかってませんでした。中国大陸をめぐる勢力争い、ぐらいの理解しかなかったわけですが、それにしても国力の差を無視してまでなぜ戦争を? 
「第六章 鬼畜米英と日本人」はその経緯を振り返っています。

(4)1945年8月15日のいわゆる玉音放送に対する日本国民の反応について、あの放送を聞いて涙したのはごく一部の(無邪気な)日本人だけであって、多くの日本人の反応は「あ~、やれやれ終わった」といった感じの気分だったのではないか、と漠然と思っていたわけですが、現実には全然違っていたようです。ほとんどの日本人が涙涙だったと、「第十章 八月十五日と日本人」。
この章は、終戦当時の陸軍大臣阿南と海軍大臣米内とのすれ違いに大きな焦点が当てられています。

(5) いわゆる左派的な知識人とは異なって著者は昭和天皇に対してきわめて同情的です。「第十一章 昭和天皇と日本人」は昭和天皇のもしかしたら知られていない側面を教えてくれます。
例えば皇太子(現上皇)に戦後宛てた手紙のなかで「我が国人が、あまりに皇国を信じ過ぎて、...」と昭和天皇自身が書いている。
戦前にさかのぼっても、日独伊三国同盟に対する危惧、対米戦争を始めることに対する危惧など、政府や軍に対して積極的に発言してます。

 

2023年1月 1日 (日)

「日本のいちばん長い日 決定版」(半藤一利、2006年、文春文庫 / 単行本1995年)

日本のいちばん長い日 決定版」(半藤一利、2006年、文春文庫 / 単行本1995年)

1945年8月14日の正午から翼8月15日の正午までの間に戦争終結をめぐつて起きた出来事の記録。
結論はプロローグの章で出ている、すなわちポツダム宣言受託・無条件降伏で昭和天皇、内閣、陸海軍トップは完全に一致している。(一致になぜこんなにも時間がかかったか、その問題については本書の対象外である。)

この24時間の歴史的意義は、戦争終結を国内的にも(終戦詔書の公布)、対外的にも確定させたことでしょう(14日午後11時)。これが本書の一方の柱。

もう一方の本書の柱は、一部将校が戦争継続を訴えてクーデタさわぎを起こしたことだが、これは歴史にくっついた、いちエピソードに過ぎないといえる。

2021年11月20日 (土)

【コンサート】ラヴェル:「マ・メール・ロワ」ほか/セントラル愛知交響楽団

【コンサート】ラヴェル:「マ・メール・ロワ」ほか/セントラル愛知交響楽団 (2021年11月19日、名古屋伏見・しらかわホール)

曲目:
ベートーヴェン:「騎士のバレエ」のための音楽
ストラヴィンスキー:バレエ音楽「かるた遊び」
コルンゴルト:「雪だるま」序曲(編曲:ツェムリンスキー)
ラヴェル:バレエ音楽「マ・メール・ロワ」

ベートーヴェン”「騎士のバレエ」のための音楽”はまだ出身地ボンにいたころの作品らしいですが、やはり時代は古典派だな、と思わせる作品だった。

ストラヴィンスキー”かるた遊び”は、「春の祭典」とは印象がかなり違います。全体的に騒々しい曲だな、というのが感想。

コルンゴルト”「雪だるま」序曲”は、作曲者11歳のときの作品というのが驚異的。ヨーロッパ人がイメージする雪だるま(Schneemann/showman)というのはどんなものだろうか。雪の玉を積み上げて、石などで目鼻をつけて、という絵画を見たことがないですが。

クラシック音楽には曲名はよく知っているが、ろくに聞いたことがないという作品が結構ありますが、ラヴェル”「マ・メール・ロワ」”もその一つです。この曲の聴き所は終盤のバイオリンなど少数の楽器による静かな演奏の部分でしょうかね。


こうして振り返ると、結局ベートーヴェンが最も聞きやすかったです。自分の耳はいまだに18世紀に留まっているようです。

あと、演奏会の座席は前の方ほど良い、とは限らないですが、今回はとくにそうだった。多くの箇所で耳に刺激が強すぎました。

 

2021年11月16日 (火)

「昭和天皇の終戦史」(吉田裕、1992年、岩波新書)

昭和天皇の終戦史」(吉田裕、1992年、岩波新書)

第二次大戦末期から戦後・東京裁判あたりまでの天皇の戦争責任に関する議論が辿られています。終戦直後までの近衛文麿による構想も紹介されていますが、本書の焦点はやはり東京裁判です。この裁判で天皇が起訴されないどころ、証人として出ることさえなかった、その経緯。

東京裁判というと勝者による一方的な裁判だ、みたいな評価が言われてきたが。本書の述べるところによれば実際は必ずしもそうではなかった。
戦後すぐに東西冷戦に向かいつつある情勢の下で、天皇と天皇制を残すことが都合がよいと考えるアメリカ側(本国政府ではなくてGHQ)と、やはり天皇と天皇制を守りたい日本側(これも日本政府というよりは天皇周辺の人々、本書でいう「宮中グループ」)との間で”根回し”とも言えるようなやり取りが行われていたのだ。
本書92ページで引用されているGHQのフェラーズ准将と宮中グループの重臣・米内光政との会見はすごいです。
フェラーズ:「(略) 占領が継続する間は天皇制も引続き存続すべきであると思う。 (略) 天皇が何等の罪のないことを日本側が立証してくれることが最も好都合である。(略) その裁判において東条に全責任を負担せしめるようにすることだ。...」
それに対して米内光正も「全く同感です。...」と応じています。
著者もこのやり取りは決定的と考えたのか、両者の発言はもっと長文が引用されています。

昭和天皇の「独白録」はそのような状況のもとで書かれたものだった。

かくして、裁判の結果は東条ほか陸軍関係者に重いものになった。
有罪となった陸軍関係者の怒りは大きかったでしょうが、そのうち本書では武藤章・陸軍中将と畑俊六・陸軍元帥の声が紹介されています(202ページ)。怒りは重臣グループや海軍に大きく向けられています。

昭和天皇の「独白録」について。筆者はこれによって初めて明るみに出た史実はほとんどない(3ページ)、としつつも「独白録」の独自の価値を指摘しています(146ページから)。
いろいろ指摘されていますが、われわれのような一般人にとって最も価値があるのは「昭和天皇の肉声」が記録されている点かもしれません。
実際、これを読んだ人々の当惑の声が紹介されています。平岩外四・経団連会長(151ページ)、平沼騏一郎・元首相の息子の平沼赳夫(152ページ)。

2021年11月 9日 (火)

【美術館】北野美術館 (2021年11月7日、長野県長野市)

【美術館】北野美術館 (2021年11月7日、長野県長野市)

地方にある企業系美術館で、今回初めて訪問しました。よく行くメナード美術館と似ているが、コレクションの方向もそっくりです。近代国内の日本画、洋画、19世紀以降のヨーロッパ絵画、そして彫刻・工芸が少し。

見た中でのお気に入りは
モーリス・ド・ブラマンク「木立の風景」...嵐の前の(あるいは過ぎ去った後?)の黒雲が印象的
野村義照「イスタンブール」...空の青が鮮やかです。
あたりです。

それ以外では
オーギュスト・ロダン「三人のフォーナス」は初めて見た気がします。

今この美術館は予約制になっていて、1時間ごとの観覧時間に最大10人となっています。1時間過ぎたら追い出されるわけではないですが、落ち着かないのも確かです。
交通の便もよくないです。行きは長野電鉄須坂駅からバスというルートで行きましたが、帰りはバスの時刻まで時間が空いてしまったのでタクシーを使った。長野駅まで3800円ぐらい。

 

2021年11月 2日 (火)

「昭和史裁判」(半藤一利・加藤陽子、2011年、文春文庫)

「昭和史裁判」(半藤一利・加藤陽子、2011年、文春文庫)

第二次世界大戦期、特に日米開戦までの昭和史におけるキーパーソンの責任を再度検証する。ただし軍人以外の政治家・外交官らを対象にしている。
取り上げられている人物は、広田弘毅、近衛文麿、松岡洋右、木戸幸一、そして昭和天皇、である。

木戸幸一は原武史著「昭和天皇」でも触れられていますが、そこではどちらかというと昭和天皇の言動の記録者というイメージしか持ちませんでした。しかしそれどころではなかった。政府・軍と天皇との間に立って意思疎通をコントロールし、天皇の思考や言動をリードした、この時代のキーパーソンの一人だったのだ。

加藤氏は学者ということもあり、対象を歴史上の事として扱っているのに対して、半藤氏は所々でまるで昨日のことであるかのように恨み・怒りを炸裂させています(昭和天皇に対しては明らかに抑えていますが)。


この時代の外交上のターニングポイント
(1)国際連盟脱退(1933)
(2)日中戦争和平に向けたトラウトマン工作の打ち切り(1937-38)
(3)日独伊三国同盟(1940)
そういえばなぜこの同盟が結ばれたのかいままで考えたことがなかった。
(4)日米交渉挫折(1941)

内政上のターニングポイント
(1)国策の基準(1936)
(2)大本営政府連絡会議(1937~)

 

2021年10月16日 (土)

「昭和天皇」(原武史、2008年、岩波新書)

「昭和天皇」(原武史、2008年、岩波新書)

昭和天皇の評伝です。昭和天皇にとって幸なのか不幸なのかはわかりませんが、この人を決して悪く言わない側近(侍従など)の証言が大量に残されていて、それらに基づいて結構詳細な評伝が書かれることになるのですね。

その一方で昭和天皇を悪く言う人が身近にいることも明らかになります。
1975年ごろ昭和天皇の弟である高松宮のインタビュー記事が文藝春秋に掲載されたらしいのですが、その記事について昭和天皇は高松宮に”あの記事を訂正しろ”と要求、高松宮は”あれのどこが間違いなのかわかりませんが”と反論、昭和天皇は”記事を全て取り消せばよいことだ”、...という口論があったらしい。(本書209ページ)
このエピソードなどは「寡黙なおじいさん」という(個人的な)イメージとは大分異なる昭和天皇のキャラクターを物語っています。

昭和天皇の近親者の証言としては高松宮が多く取り上げられていますが、もう一人の弟・三笠宮や、二人の息子の証言は殆ど取り上げられていません。これらの人たちは近年まで存命であったか今も健在なので資料がオープンになっていないのでしょうね。将来それらがオープンになると昭和天皇の別の側面が見えてくるかもしれません。まだ当分先のことでしょうが。

2021年4月11日 (日)

【美術館】「吉田博」展/パラミタミュージアム

【美術館】「吉田博」展/パラミタミュージアム (2021年04月11日、三重県菰野町)

吉田博という作家の名前は去年、東京八王子の東京富士美術館で初めて知りました。その時はたしか所蔵品が2点ほどしか展示されてなかったのですが、昭和初期という時点で北アルプスに籠って雄大な風景を版画にすることに成功していて、予想外の発見でした。今回割と近場の三重県で展覧会が開かれているので行ってきましたが、観客が意外と多く、元々有名な作家だったようです。

この人の作品の良さは「大きな風景」(北アルプス、富士山、瀬戸内海、アメリカやヨーロッパの山岳風景、など)の描写にある、と思いました。「瀬戸内海集」などの作品では空気感を版画で見事に表現できていると思います。

他方で「町の風景」(東京など)になるといかにも「浮世絵」風です。これは外国に売ることを考えて意図的にそうしている可能性もあります。

 

2021年3月26日 (金)

「小説集 夏の花」(原民喜、1983年、岩波文庫)

「小説集 夏の花」(原民喜、1983年、岩波文庫)

この本も「文庫解説ワンダーランド」(斎藤美奈子、2017年、岩波新書)で取り上げられていたものです。

「夏の花」を読むと「はだしのゲン」を思い出します。小学生のとき少年ジャンプに連載された「はだしのゲン」をリアルタイムで読みました。8月6日の朝、「私」(おそらく原民喜)が起床したちょうどそのころ、ゲンは(作者の中沢啓治は)登校の校門で女性に呼び止められて会話をしていると米軍機が飛来していることに気が付いて...。


「文庫解説ワンダーランド」によれば「夏の花」について大江健三郎、リービ英雄らの論者がこの作品を私小説として評価する評論を展開しているようですが、正直言って私にはそれらをよく理解できません。実体験の報告と創作とが渾然一体になったような小説を私小説というのか、と今頃理解したレベルですね。

「はだしのゲン」では被爆者に対する理不尽な行為・態度・差別・偏見も描かれていて読み進めるのが本当にきつかった(結局、連載を最後まで読んでません)。しかし、原民喜の「小説集 夏の花」にはその側面の記述はほとんどないです。

この小説集に収録された作品のなかでは原爆直後を描いた「夏の花」「廃墟から」などよりは、戦中・戦後の生活を描いた「壊滅の序曲」「氷花」などに私は興味があります。

とくに「氷花」は戦後の混乱の中で彷徨う知識人を描いている。戦後1年以上経過して2人の兄はもちろん、夫を亡くした姉と妹も新しい生活を徐々に作っていっているにも拘わらず、ただ一人本人(これも原民喜本人か)だけはっきりしない状況が続いています。これは単なる知識人の弱さ、もあるかもしれませんが、民樹が妻を失って家族を持たないから、というのもあるのではないか。

 

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