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2016年6月10日 (金)

「弱者はもう救われないのか」(香山リカ、2014年、幻冬舎新書)

「弱者はもう救われないのか」(香山リカ、2014年、幻冬舎新書)

著者・香山リカ氏を知ったのはいつだったか憶えていないが、ここ十数年来ネット上でよく見かける人である。
ネット上の文章を読んで思ってきたのは「この人は世間に対してかなり過激なこと(?)を直接主張していこうとしているのか。少々無謀ではないか。潰れなければよいが。」ということです。

ところがこの本で香山氏は、そうすることが必要なんだ、と書いている(第3章)。大したものです。

第4章までは今まで香山氏がネット上で展開してきた議論とあまり変わらないのかもしれませんが、氏の危機感はよく伝わってきます。

この本の本題は第5章以降でしょう。
過去の思想史や現在の論壇(?)を概観して「弱者救済の理論的根拠」を探そうとしますが、どうやらどれも完全(だれもが納得できる)ものではなさそうです。
個人的には「理論的根拠など必要なのか。”当たり前なこと”で済ませられないのか」と思いながら読んでいたのですが、それは著者も同じ様です(「おわりに」)。

ただ、その思想が社会の当たり前になるにはそうとう長い歴史が必要なのでしょうね。

2016年6月 7日 (火)

「歴史認識とは何か 対立の構図を超えて」(大沼保昭/江川紹子、2015年、中央公論新社)

歴史認識とは何か 対立の構図を超えて」(大沼保昭/江川紹子、2015年、中央公論新社)

日本の戦争責任・戦後責任について理解はできるが、どこか割り切れなさを抱えていた自分には勉強させられた本であった。
日本の戦争責任・戦後責任を再確認すると同時に、日本がそれらの責任から逃げっぱなしであったわけではなく、(過去の植民地支配などで同様の責任があるはずの)欧米が果たしたことのない事業を日本は成し遂げてきたことが明らかにされます。
その一方で欧米・中韓に対する批判、内外メディアの問題も指摘されます。


「...いかに一般の人々が問題について基本的な事実を知らされていないか、とくに日本が...積み上げてきた努力が知られていないか、という無念な思いをしてきた。」と著者・大沼氏は書いているが、これは知らせる側の努力だけの問題では無く、知ってもらいたい側と言うか知る側のエネルギーの問題でもあるのだ。(江川氏は「私は慰安婦問題についての本を何冊か慌てて買い込んだ。」と書いているが、そんなエネルギーのある人はごくわずかで。)
「歴史認識」には総合力が要求されることを実感させられる一冊でした。


著者の江川氏については90年代から知っていたが、大沼氏はこの本で初めて知った。この本を書店で手に取ったのも「聞き手 江川紹子」につられてだったので、意図したことかはわからないけど知名度のある人を共著者とするのは良い方法です。

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