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2019年5月27日 (月)

【博物館】一遍聖絵/京都国立博物館 (2019年5月26日)

【博物館】一遍聖絵/京都国立博物館 (2019年5月26日)

開催中の特別展で一遍聖絵を見てきました。
この絵巻物については昔から知ってはいましたが、網野善彦著「日本の歴史をよみなおす」(ちくま学芸文庫)でこの絵の思想史的価値に触れらているのを読んで、この機会に実物を見ようと思ったわけです。

詞書を読めない(読むスキルがない)ので、絵の部分だけを見て素人なりに解釈したくなってきますが、それは危険ですね。
実際、場面の一つ一つについて一遍はどれだ、と無理やり探したりしていましたが、あとでミュージアムショップで立ち読みした本によると一遍が出てこないシーンもあるらしい。


日曜日にもかかわらず館内は空いていました。GWさなかの東京国立博物館の行列からすると信じられないほどである。

今回の京都では国立博物館と、向かいの三十三間堂にだけ行きました。あと、三十三間堂の裏の法住寺もちらっと見てきた。ここには後白河天皇の墓所があるらしいが残念ながら公開されていないようだ。

 

2019年5月23日 (木)

「古墳の語る古代史」(白石太一郎、2000年、岩波現代文庫)

「古墳の語る古代史」(白石太一郎、2000年、岩波現代文庫)

以下、本書からのメモ書き。

古墳の大きさは造営した王の権力の大きさを表すだけではない。倭国の王国連合の内部における王の格を表すものでもある。

巨大古墳は邪馬台国の時代である3世紀にまでさかのぼることができる。邪馬台国の所在地論争、畿内か九州か、についてはほぼ結論が出た。畿内、それも狭義のヤマトすなわち奈良盆地南東部、現在の桜井市、天理市あたりである。
さらに言えば箸墓古墳が邪馬台国の女王、卑弥呼の墓の可能性が高い。

騎馬民族の渡来について。騎馬民族による日本列島征服というのは考えられないが、鉄資源を朝鮮半島南部に依存していた倭国は騎馬民族との戦闘を通じて騎馬文化の大きな影響を受けたはずだ。

高松塚古墳の 被葬者に ついて。717年に死んだ石上朝臣麻呂(いそのかみあそんまろ)の墓ではないか。

 

箸墓古墳(2016年4月)Hashihaka_1 

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